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2014-10-30

横山大観の富士は現代アートだった!

霊峰不二山


 秋も深まり過ごしやすくなりました。
今日10月29日(水)、平塚美術館へ、三彩会の生徒さんたちと一緒に新旧・日本画対決?を見に行って参りました。

一つ目は80を優に超えていまだ健在な院展の重鎮、であり、なおかつ理事長でもある松尾敏男氏の回顧展。

もう一つはその院展の創設から屋台骨を支えて来た大先輩格に当たる、かの有名な横山大観の、それも”富士山”に特化した展覧会。

双方とも非常に見応えがありました。


 でもこのブログでは、特に大観の富士山の展覧会にフォーカスして書かせていただきます。

上記のタイトルでも大げさに書きましたが、私は横山大観を少々誤解していたようです。

少なくとも、大観の富士山は、大観の代名詞的存在であり、ある意味手垢がついたものです。
そして横山大観には、”富士山の売り絵をたくさん描いてお金持ちになった日本画家”というイメージがベットリ拭いがたくあり、西洋画出身の私には偏見の対象以外何物でもない、といった少々青臭い見方しか出来なかったのも事実です。
しかし今回の展覧会で、そうしたステレオタイプな見方は捨てないといけないな、と深く思った次第であります。

会場に飾られた50点あまりの富士山をつぶさに見ていくに従って、次第にある思いが強く湧き上がってまいりました。

それは、「横山大観は地球という壮大な天体を描きたかったのではないか?」ということです。

富士山は、見る角度によって表情が異なりますし、季節や時間帯によっても絶妙に変化していきます。
そんなことは分かり切ったことです。

しかし何枚も何枚も同じ富士山を見てもなかなか飽きないのです。

最初それは一枚一枚富士山に込められたテーマやイメージが違うからだと思いながら歩を進めてましたが、結局同じ作者が同じモチーフを繰り返し描いているだけで、そこに横たわるメッセージはどれも共通しているな、と感じました。

では何故、飽きることなく目を引き付けるのか?

それはきっと大観にとって富士山を描くことへのモチベーションが異様に高かったから、それがエネルギーとなって鑑賞者を魅了し続けるのだと思いました。

さらによくよく考えてみると、宇宙のいろいろな天体の中で、地球ほど変化する星、表情豊かな天体はあまり無いものと考えられます。

 月にしたって光の角度で凹凸が変化するくらいでしょうし、火星や金星もおそらくそうでしょう。

太陽はプロミネンスとかがありますが、炎のダイナミックな形象の変化にとどまると思われます。

それらに対して地球という天体は、パンゲア運動といって、地殻の動きにより大陸が一つになったり七つの大陸に分散したりします。
 また、天候の変化や季節の移ろい、さらに動植物の分布によっても変化が与えられるでしょう。
同じ角度で何枚描いても、残雪の形は全く同じにはならないので、それだけでも相当な変化です。

結局、富士山という”突起物”を何枚も描くことで、地球のサーフェス(表面)を代表して、地球の本質のようなものを表現し得ることになります。

そのサーフェスは、とてつもなく変化に富み、美しく豊かです。

生涯2000枚以上に及ぶ富士山を描いたとされる横山大観。

それだけのボリュームを描くには、物凄く強い目的意識が無ければ描けません。
そして使命感が絵描きを動かします。

大観にとってその使命とは、日本という国の国威発揚であったとされているようです。

しかし思うのです。

日本という国家を強調するなら、富士山の他に、例えば皇居とか、二条城とか、法隆寺などの象徴的建造物を添えてもいいはずです。 もちろん現実にはあり得ないアングルかとも思いますが、それなら数多ある視点の倒錯や確信犯的な大小関係のズレなどといったものがどうなるのか?、、ということです。

大観の富士山には人工的なものは本当に見事に省かれています。

かすかに太鼓橋や五浦の楼閣や田舎の村落が小さく見える絵が数点あるものの、それが日本の国力にはとうてい思えません。
ほとんどが雲や大海原や松や桜などの自然物に囲まれています。

大自然の中の富士山が追及されているため、そして印刷物ではまずもってスケール(サイズ)が違うため、全く鑑賞不能となってしまっています。(ここが誤解を生むところでしょう。)

人の存在が自然に寄り添うように描かれるか、もしくは完全に自然そのものとして描かれるか・・・。

やはり私には戦前・戦中・戦後を通して描き続けられる富士山は、国家とか人間とかの枠組みを大きく超えて大観がひれ伏す大自然そのものの存在が表現されているようにしか考えられません。

そしてその大自然そのものの存在こそが、地球規模に敷衍して語られているように強く感じられます。

世界各国の自然をたくさん描くことではなく、ストイックに富士山という地球のでっぱりを描くことだけでかえってこの天体を言い切っているようです。


かけがえのないこの地球という天体を定点観測し続けた横山大観は、今で言うところの”コンセプチュアルな現代アート作家”と言って良いかもしれません。


霊峰十趣 - 夜


追記・・・三彩会の皆さん、ランチでは大変ご迷惑をおかけしました。 人気店は電話帳登録をしていない、というこの時代の変化にまず驚きました。 たくさん人に来て欲しくないのでしょうね・・・。 ある意味羨ましい限りです。
プロフィール

キヌケン

Author:キヌケン
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横須賀は衣笠という町で絵の教室を主宰しております。
私自身は、東京藝術大学絵画科油画専攻(学部・大学院)に学びました。
個展、美術の祭典・東京展(上野)、および現代絵画シリウスというグループを結成して活動してます。

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